19.遺伝子診断に伴う危険性は?

 遺伝子診断そのものにおいては、通常は血液を採取するだけなので、身体的な危険性はほとんどありません。危険性は、むしろ結果によってはその人の人生を変えてしまうかもしれないというところにあります。

心理的に受ける衝撃:まず、重大な疾患にかかりやすいか、あるいはそうでないかを知ることによって起きる心理的影響が挙げられます。がん多発家系の人々の多くはすでに病気のために身近な血縁者を何人か失っています。ですから、疾患遺伝子の保因者であることが確定された場合、鬱的になったり絶望感にさいなまれることになりかねません。

 現時点では、がんの遺伝子診断が引き起こす結果に関して直接調べたデータはほとんどありません。ある研究では、疾患遺伝子の保因者であると診断された女性が、診断から3〜6週間後に、不安、憂鬱、当惑、睡眠障害に悩まされたという調査結果があります。保因者でないと診断された人でさえ、その半数は自分たちがその病気にかかる危険度を心配し続けているとのことです。

図19:重大な疾患に罹かかる可能性を明らかとする遺伝子診断は、心理的な苦悩などの問題を引き起こす場合もあります。
家族関係:その他の臨床検査とは違い、遺伝子診断は検査を受けた人たちだけではなくその血縁者についての情報も明らかにします。ですから、遺伝子診断を受ける決断をすること自体が、遺伝子診断の結果を知ると同様に、家系全体に影響を与えかねません。たとえば、ある赤ちゃんが鎌状赤血球性貧血の遺伝子診断で陽性となれば、その子の両親のいずれかが保因者であるということになります。遺伝子診断で父子関係や養子関係といった家族の秘密を明かしてしまうことにもなりかねません。
 診断結果が引き起こす感情は家族内での人間関係に影響を及ぼす可能性があります。遺伝子の保因者であると診断されたことに、なぜ自分がそんな体質を引き継いでしまったのかと憤りを感じる人もいるでしょうし、保因者でないことが分かった人も親しい血縁者が病気で苦しんでいるのに自分だけがまぬがれたという罪悪感にさいなまれるかもしれません。
 同一家系内の多くの構成員の遺伝子解析を行う連鎖解析(80)研究においては、特に家族関係が問題となります。ひとつの家系の人たちの中にはそういった研究に参加したくない人、または遺伝的な危険性を知りたくない人もいるかもしれません。遺伝子診断を受けようと考える人の中には、自分の血縁者が、疾患に関係する遺伝子を持っているかどうかがわかったり、遺伝子診断の結果を家系の他の人に知らせることをどのように考えているか知りたいという人もいるでしょう。
 遺伝子診断を受けようとする人は、その診断結果を他の家族と共有するかどうかを考えておかなければなりません。家族は知りたがっているだろうか?誰に告げるべきなのか?配偶者?子供たち?両親?それとも婚約者?がん多発家系の人は結婚前に診断を受けるべきなのか?診断で陽性が出るということが人間関係にどんな意味を持つのか?もし家族の遺伝子診断の結果を知りたくなければ、その要求は聞き入れられるのか?それはどのようにすればよいのか?・・・等々。
図20:遺伝子診断によって明らかとなる問題点や疑問によって、家族やその他の人間関係にも問題を起こす可能性があります。
医学的な選択:診断でがんになりやすい遺伝子変異が陽性と診断された人は、危険性をともなっていたり、どのくらいの効果があるのかもはっきりしない予防策や治療策を非常に長期にわたって選んだりするかもしれません。例えばBRCA1の変異の診断を受けたある家系では、何人かの女性は乳房の切除術を受け、さらに出産を終えた後、卵巣も切除しました。しかし、切除手術について話をすることにさえ興味がないと遺伝カウンセラーに告げた人もいました。
図21:遺伝子診断結果の秘密保持の方法を確立することは、重大な課題です。
プライバシー:私たちの遺伝子は私たち自身の情報、また間接的には血縁者の情報の記述をしたいわば百科事典のようなものです。誰がその情報に関与すべきでしょう?例えば、がんにかかりやすいという結果が出た場合、秘密は守られるのでしょうか、それとも、外部に漏れてしまう可能性があるのでしょうか?これらの遺伝子診断の結果が被験者にとって不利に使用されるということも懸念されます。そのために健康保険に入ることを拒否されたり、職を失ったりあるいは昇進できなかったり、遺伝子の問題を理由に養子となることを拒否されたりする問題はすでに起こっています。
 小規模の研究では、DNAの解析結果が外部に漏れないように予防措置がしっかりと確立されています。しかし、情報に触れる人の数が多くなればなるほど、秘密保持を保証することはより困難になるでしょう。臨床検査の結果は通常カルテに記入されます。たとえ遺伝子診断結果の情報をカルテに載せないとしても、例えば、検診を何度も受けることによって、その人ががんにかかりやすい体質を持っていることが他の人に分かってしまうこともありえます。遺伝子に変異があると必ず病気にかかり易くなるというわけではないのにもかかわらず、遺伝子に変異のあることがわかれば、「保険契約前から存在する疾患」として扱われ、保険支払いの適応範囲から除外される可能性もあります。